普天間移設 食言と優柔不断…失った半年(産経新聞)

 鳩山由紀夫首相は28日の記者会見で、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の代替施設を現行案と同じ「辺野古」に建設することで米国と合意したことについて、「自分の言葉を守れなかった」と陳謝した。だが、首相があてもないまま「最低でも県外」と唱え続けず、せめて半年前の時点で決断していれば事態はここまでこじれていなかった。今日の混乱は、首相自身の食言と優柔不断さが招いたといえる。

 「(先の大戦で)沖縄は本土の防波堤となった」

 「不当な差別だと考える県民の皆さんのお気持ちは痛いほどよく分かる」

 首相は記者会見で、負担を強いられる沖縄県民への「思い」を強調した。とはいえ、ここに至る首相の発言はあまりに軽かった。

 「昨年12月に、えいやっと(名護市)辺野古に移設先を決めていれば、どんなに楽であったか」

 首相は4月21日の党首討論で苦衷を訴えた。確かに首相は昨年12月7日には、今回の共同声明に近い政府方針を年内に米国に伝える考えを表明していた。ではなぜそうしなかったのか。

 「結果として辺野古の海、果たして工事が進んだだろうか。あと数年間、何も動かなくなる」

 実際には今回と同様、社民党が「連立離脱カード」をちらつかせ抵抗したからだった。いったんは押し切る構えを見せた首相だが、小沢一郎幹事長が社民党側に立つに至って、「しっかりとした結論を出すために時間が必要だ」と先送りに傾いたのだ。

 「国民もこの答えが最適だと分かるときがくる」

 首相は12月16日、先送りを正当化したが、果たして誰がその“予言”は的中したと思うだろうか。4月21日の時点で「何も動かなくなる」と指摘した移設先が、その1カ月後にはどうして大丈夫となったのか。もし半年前に決断できていれば、首相の迷走で「もう元に戻ることはない」(外交筋)といわれるまでになった日米関係も日本の国際的信用も、ここまで壊れはしなかっただろう。

 当時の名護市長は代替施設受け入れを表明しており、首相に期待した沖縄県民がいま、「差別」という極端な言葉を持ち出すこともなかったかもしれない。

 首相は28日の会見で、旧政権との違いをことさら強調してみせた。今月23日に沖縄を再訪して仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事と会談した際も同様のことを述べていた。

 「今回は、前政権の下では米国と交渉してこなかったものが含まれている」

 だが今回の共同声明は、前政権下の平成18年5月に合意した日米ロードマップ(行程表)を「着実に実施する」としている。基本的に微修正の域にとどまるものだ。

 「首相をなさる方は正常な神経を失ってしまいがちで、名誉心とか自己顕示欲とかが先に立ち、国民に多大な迷惑をかけてしまう」

 首相が昨年2月、当時の麻生太郎首相を揶揄(やゆ)した言葉だ。顧みて思い当たるところはないだろうか。(阿比留瑠比)

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